『友達』 が あまりの軽さに 終わっている
有名ブロガー界隈?で、こういうネタのはやってる感がすごいなーと
ぼくのフェイスブック術:「いつも怒ってる人」の「フォローをやめる」 : まだ東京で消耗してるの?
ブログ名からして既にdisってる割に、他人のdisで機嫌が左右されるのはイヤという
あまりの説得力にあきれてくる
トモダチという言葉に重量感がゼロになってて、ヒデーなコレとしか思わなくなってきた
ネット上のトモダチは友達と意味が違う
トモダチとかフォローとか言ってるけど、助ける気はないし信用もしてないし面倒事には巻き込まれたくないし利用価値がないと要らないし、都合のいいオーディエンスくらいにしか思ってないことに何の疑問も持たない姿が、ある意味すげぇ
ネットを挟んでいるとはいえ、ここまでビジネスライクに対人関係を割り切るとか「オマエはトモダチとか全く思ってないだろ」と言いたいレベル
なんというか自分に都合が悪いことに片っ端からフタして回るような後ろ向きな思考を、ここまで肯定的な表現して高らかに実行しなければならない理由がよくわからんなーと疑問に思う
気に入らないモノを気に入らないというのは、それはそれで人間らしくていいと思うけれども
暗に脅迫めいた表現やら周囲を巻き込むような方法使ってまで排除したいって何があったんだろうか
いんぼうのにおいがするなー