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三十代のオッサンがネット記事やら日々の事柄について不定期に日記を書くブログです。 

絆 bot が 終わっているのは、自分と違うものを許容できないから

会社にしろ社会にしろだが、コミュニティに対して『絆』だの『仲間』だの『信じている』というキーワードを口走る bot が、心底気持ち悪くてしょうがない

 

こいつらが気持ち悪く感じる理由は、一つで

この手のキーワードを口走る連中が、この手のキーワードを全く信じていいないからだ

 

『絆』という抽象化キーワードを使って、信頼関係を構築しよう

こんな手口を当たり前のように使ってくる人間は善意の強制や信頼の押し売りだときづくのだろうか?

人間らしい感情かと言われれば、そうとも言える

だが、彼らの目に映っている相手は人間ではないだろう

 

人間らしく他者に接することないモノが人間らしいなんてある訳もない

 

彼らが人間らしく見えない理由は、簡単だ

彼らは自分が定義したソレが万民に通じると考える

世界の全てに適用される共通の何かだと考えている

そんなものは片手の指の本数よりも少ない

そして、彼らは多様性を理解できない、信頼とは多様性を許容することだとは考えたりもせずに

画一性の元に成立しうると考える

 

他者の何をもって信頼するかの判断基準が「自分と同じ」であることになってしまったら、それは信頼とは言えない