普通という基準を見失った社会
普通の基準ラインを設定できない
日本人のクソまじめさが問題なのかもしれないし、世界的にもそうなのかどうなのかは知ったこっちゃないが、これはおかしいだろうを書く
これは社会のブラック化要因の一つと言える
普通とは何か?が定義されていないのに評価制度が採用されている会社が多い
どんな会社でも帰宅しても仕事に関連性がありそうな技術や知識を自分の金と時間を使って勉強する人は本当に偉いと思う
努力は評価されるべきだが、これはサービス残業を自発的にやっているのと大差がない
強制性があるかどうかの違いで、自発か多発かの違いでしかないし周りからの期待という強迫観念からやっている人もいたりするので難しい問題だ
こういった業務外の努力を評価することをいけないとは思わない
問題は特別な評価ではなく一般的な評価として普通という基準にコレを組み込むことだ
部内の大多数がプライベートタイムに1日2時間の業務学習をしているのに、それをしないヤツはカスとか言い出し、お門違いもいいところ
これはサービス残業の強要と何ら変わらない
就業場所が会社か自宅かくらいの違いでしかないからだ
普通という基準は少なくとも、一般的な労働者が
採用時に必要とされている能力 + 業務時間内(雇用契約範囲内)で修得できる能力
で構成されていなくてはならない
これ以外の条件を加味しだすと業務時間外の努力をするのが当たり前になったり、更に悪化すると生存に必要な時間以外の全てを会社に投げ出しても何も評価されないようになってしまう
通常と言える範囲の業務設計が曖昧になり実質的な業務時間が拡張され続けることになる
そして、業務時間内に達成不能なタスクだらけの毎日がやってくる
丁稚奉公やボランティアじゃなく、雇用契約で定義されている範囲の内容を基準に設定すべき
どうすればいいのか?
手当形式での別途追加が妥当でしょうね
資格手当とかああいう形式
評価対象になる学習や技術かは定義しとくべきでしょう
業務時間内のノウハウだけじゃついていけない業種は給料増やすしかないでしょうな