海外では~〇〇だから~こうするべき という主張 が終わっていない
どちらかというと終わっていると思っていた時期が私にもありました
ぶっちゃけ、最近の日本をやたら賛美する番組群が気持ち悪いので今回は終わってないでいきます
正直な話、この主張パターンは鬱陶しい
なんでっていうと、
- 知ったかっぽい
- 日本をdisる
- 主張の内容そのものが狂っている
大体、これくらいのパターンな気がします
1.知ったかっぽい
これに関しては知ったかかどうかはさておき、他人や他国の優れたところなら嫌いな相手からでも学んで利用したほうが得なので、海外の制度や方法で良さそうなのがあるなら取り入れればいいだけだから気にする意味がない
合理的な判断ではなくて言ってる人間に対する敵対心だか嫉妬やらの負け犬の人格攻撃みたいな拒否反応になってしまいます
個人的には言ってる人間がどうこうより、言ってる内容のどうこうを判断したい人なので判断に加えるべきではないです
2.日本をdisる
基本的に批判なんだから、まあ当たり前ですよ
逆に最近の日本スゲーの番組の気持ち悪さからいくと中和されて丁度いいかもしれません
悪いところは悪いと認識しないと、いつまで経っても良くなりませんからね
主に俺が若いころはもっとみんな残業してたとか、こういうわけわからん理屈の温床にしかならないのでダメなもんはダメです
昔を語るだけでダメなのか?自分から残業したくてしょうがないと思ってたわけでもないくせに、周りに流されてただけの話なんて、何の主張にもならないですよ
3.主張の内容そのものが狂っている
一番タチが悪い
これがこの「海外では~」で始まるシリーズが終わってる印象を植え付けまくった原因でしょう
この論法のクソなところは、海外の優れた何かを推奨すように見せかけて自分に都合がいいところをゴリ押しする「ただのクズ」がいるところ
主に、特定政治家向けの批判や自前のクソ理論の正当化を目的として運用されます
思い当たる節がありそうな理由ですね
これはこれで真剣にスジ違いなので、こういう何かの皮を被った別のモノは一緒に扱うと目が悪くなります
どうして終わっていないのか?
主な理由としては、この手法を使ってみるくらいのつもりでいたほうが、クズ野郎の誘導を見破れるようになるからです
海外で~というだけの根拠しかないような薄っぺらい理論なので、その慣習やシステムになった合理的な理由が存在しなかったり致命的なリスクを抱えているようなシステムだったりするからです
リスクを評価できるようになれれば、やる価値があるかどうかの判断に持っていけるので何においても使える能力が育つと言えます
いいものはいいし、ダメなもんはダメという基本の練習ができるので手法だけで正否を判断するのは終わっているという主張でした