民意 が 終わっている
単語としては終わっていないが、この単語の使い方というか使う連中が終わっている
民意(オレの意見)を無視
民意(オレの意見)を置き去り
「自分の意見」を「民意(市民Aの意見でも民意)」と言って拡張・拡大し、さも大多数が思っているように印象操作をすることを目的につかわれる言葉である
現行の法制度により合法的に選ばれた与党や首相の存在や方針を違憲呼ばわりするなら、彼らがやっていることは民主主義の否定だ。日本国憲法の前文や憲法15条への違憲である
これが彼らのいうように大多数の国民の意見を与党が無視しているというのならば、改革すべきは選挙制度だ
現行制度が気に入らないから変えようというなら「15条を変えよう」は「9条を変えよう」と同じロジックにはまることになってしまい、民意の代行者が掲げた論理は破綻する
民主主義は愚かな仕組みといえる部分は多い
意見の正否は数の多寡ではない。というのは正論である
進歩の余地はあるし改革すべき根拠はある
が、この戦略は愚策としか言えない
正攻法でいくなら意見の質で上回る方法をとるべきなのに、感情論と「反対だから反対するのだ」しか言えないような活動家、説明不足を連呼する「説明係のマスコミ」はただのキチ〇イにしか見えない
バカの一つ覚えみたいに違憲しか言えないから、いつまで経っても少数派のまんまなんだろう