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三十代のオッサンがネット記事やら日々の事柄について不定期に日記を書くブログです。 

アファーマティブアクション が 終わっている

この仕組みというか取り組み、結果を出すのを急ぎ過ぎて終わっている

アファーマティブ・アクション: affirmative action)とは、弱者集団の不利な現状を、歴史的経緯や社会環境に鑑みた上で是正するための改善措置のこと。この場合の是正措置とは、民族や人種や出自による差別と貧困に悩む被差別集団の進学や就職や職場における昇進においての特別な採用枠の設置や試験点数の割り増しなどの直接の優遇措置を指す。

アファーマティブ・アクション - Wikipedia

目指す方向性としては差別の撤廃なので間違っていないんだろうけど、手段がダイレクトすぎて「それっぽい理由を、取って付けた利権構造」にしかなっていない

「社会的な差別によって環境が悪く」本人の能力が発揮できないから試験の点数や会社での実績が上がらない。これを何とかしようとするのは差別の撤廃として正論である

が、能力が低いまんまの状態で会社で昇進したり、足りない能力のままエリート集団にブチ込んだりしたところで何も解決しないし、誰も得をしない。理解できないバカに教育したり能力の足りない上司なんて会社も部下も願い下げだ

成績や実績を水増ししたところで、そいつがその利益によって被差別コミュニティに貢献するかは個人任せだ

そのうり、元被差別コミュニティの人数が増えればマイノリティじゃなくなるから、それまで待つというなら淘汰か増殖で解決するような理屈になってしまう

社会的に差別されてきたという点については否定要素は無いのだろうが、これでは障がい者を会社や学校が受け持つと補助金が出る制度と同じで根本的な解決じゃなく場当たり的に、解決したような気がする程度にしかなっていない

 

どうすべきか?

裏口入学で進学させるのではなく教育の補助をして進学レベルを上げる(有名な進学校にいきなり放り込むとかではなく、荒んだ底辺校から救い出して普通レベルの学校に行かせて教育の補助をする)

能力を高めるのに必要な費用を下げたり補助をすればいい

同様の貧困層に対しては人種を問わずにやったほうが救済策としては良いだろう

やればできるということを客観的に証明できるように助けてやらないと、差別されてきたから楽して金が儲かるという闇が深まるだけで差別の連鎖にしかならないからだ

そのうちアレもよこせ、コレもよこせという

「こいつら差別されても当たり前の連中だったんじゃねぇの?」

という隣国AとかBとかみたいなことになる

 

資本主義は格差が固定されていないことを証明し続けなければ歯車が回らない

働いても楽にならないなら共産主義と何も変わらないからだ。資本主義で働いても楽にならなければ共産主義より性質が悪いことになる

努力をしても収入が減りもしなければ増えもしない社会

収入を維持するためだけに努力が必要な社会

どっちが地獄かなんて考えるまでもないだろう

 

本当に差別を失くしたいのなら、アレもよこせコレもよこせの利権構造にならないような対処法を考えて施策にしなくてはならない

そもそも貧困に対する問題は民族特有の問題じゃないんだから貧困層に対して行えばいいんじゃねぇの?いや、ほんとに